2017年01月16日

可愛い子供の写真、SNSに投稿すべき?オンライン上のアイデンティティ作りで失敗

ソーシャルメディアのユーザーなら誰しも悩む問題がある。素晴らしい写真が撮れたとき、それを投稿すべきか、それとも思いとどまるべきか。


可愛い子供の写真、SNSに投稿すべきか


 この問題は、子供が関わってくると二重に複雑になる。最近実施された調査によると、親は子供が5歳になるまでに平均1000枚前後の写真をソーシャルメディアに投稿するという。多くの親は投稿前に子供に許可を得たりはしない。


おそらくアカウントのプライバシー設定をチェックしたこともないだろう。


写真には撮影場所などのデータが含まれているにもかかわらずだ。


 プライバシー擁護団体などが親に投稿の自制を求めるのには、こうした背景がある。写真を投稿された子供を危険にさらし、将来的にも困らせることになるのは、無視するには大き過ぎる問題だというのがプライバシー擁護派の主張だ。最善策はインターネットに子供の写真を載せないことだろう。


 しかし、一部の親は子供の写真を投稿する意義を強く訴える。ネット上の社交の輪が広がり、これまで知らなかった人とも子供の写真を介してつながることができるというのだ。


さらに、いずれソーシャルメディアを使うようになる子供たちに対し、親が良い手本を示せるとも主張する。


 雑誌「マザーウェル」の創刊者で編集責任者のローレン・アプフェル氏(自身も双子を含む4人の子の母親)は、子供の写真の投稿に賛成だ。一方、カリフォルニア大学バークレー校でテクノロジー・社会・政策研究所のフェローを務めるモーガン・G・エームズ氏は反対派。以下、両者の主な論点を紹介する。



賛成:「孤立の時代」にはコミュニティ作りに大いに役立つ(アプフェル氏)



 ネット上で子供の写真を共有することは満足感のある経験になり得るし、他の親とつながる手段にもなる。ただ、責任を持つ覚悟はしなくてはならない。



 写真を共有する大きな理由はコミュニティの構築だ。子育てはかつてないほど孤独な戦いになっている。例えば私自身、実家から数千キロ離れた場所に住んでいる。


1日をやり過ごすのも大変な現代の子育て環境では、インターネットは大きなサポート源になっている。


双子の母親になりたてのころは、フェイスブックに2人の写真を投稿することが何よりの幸せの1つだった。


子供の写真を共有してオンラインコミュニティに関わりを持つのは当時の私にとって命綱だった。




 写真が思った以上に拡散してしまうことを懸念する人は多い。しかし私にとって、それは楽しみの一部だった。1枚の写真が誰の琴線に触れるのか、そこからどんなつながりが生まれるのかは分からない。


想定外の人が私の投稿した写真を見て、「共感できた」などのコメントを残してくれた。



 写真投稿に潜む危険について大きな懸念があることは理解している。しかし、私自身は気にしない。私の子供たちは、ネット上での写真共有にはリスクを上回るメリットがあると考える親の元に生まれてきたのであり、これは彼らの運命だ。



 私は、悪趣味や不適切、または多少なりとも子供をばかにしていると感じる写真は投稿しない。また、年長の子供たちがはっきりと嫌がった時にも投稿しない(10歳と8歳の子供には投稿の許可を求めるようにしている)。


 写真投稿に批判的な人が言うように、われわれがまだ知らないインターネットの影響もあるのかもしれない。新しいテクノロジーには不測な事態はつきものだ。


しかし、新しい解決策は常に存在する。未知のものを恐れるのではなく、デジタルの世界を受け入れ、礼儀正しく威厳ある方法でそこに触れ合うことで得られるものを享受すべきだ。親業というものは、将来の曖昧かつ不確かな懸念に今を左右されなくても十分に大変なのだから。


 私の最年長の息子はまもなく、ソーシャルメディアの新たな世界に飛び込んでいくだろう。我々はインターネットへの進出をチャンスとして利用するべきだ。親業は良い手本を示すことにほかならない。


 息子がインターネット上で私の歴史をたどれば、母親が自分や他人の写真を丁重に、かつ節度を持ち、そして巧みに優先順位を付けていたことが分かるだろう。それこそ、私が彼に期待するところだ。





反対:プライバシーの侵害であり、子供の許可を得ていない(エームズ氏)


 フェイスブックは、かわいい赤ちゃんや早熟の子供たちであふれているように見える。しかし、私自身を含む多くの親は、子供の写真を共有するのはあまりに多くのリスクを伴う行為だと判断している。


 なぜ我々は写真の投稿を見合わせるのか。子供の写真をネット上に載せるときに親は何を考慮すべきだろうか。


 私の考えは、プライバシーと同意を軸としている。ウェブ黎明期とは違い、今はデータマイニングが大きなビジネスになっている。我々がネット上に掲載するコンテンツの多くは、我々のコントロールが及ばないだけでなく、アグリゲーション(個人情報の集約)やプロファイリング(個人情報の分析)にも積極的に利用されるサイト上にある。



 親が投稿した写真は子供たちを死ぬまで追いかけ回すだろう。そこに付随するデータはマーケターに売られ、そこからさらに転売されるからだ。

それによって、偏見や壁が助長される可能性がある。マーケターはデータからどんな人物なのか探り、どんなコンテンツを売るべきか、どんな住宅ローンが適しているかさえ決めるだろう。



また、我々がまだ知らない長期的な影響もあるだろう。


 親にとっては、実際の閲覧者が誰なのか覚えておくのも難しいかもしれない。子供の写真は祖父母に見せたいだけかもしれないが、フェイスブックを含む多くのサイトでは、デフォルト設定はネットワーク全体と共有することになっており、多くの人がそのままの状態で使い続けている。


そして写真は投稿されてから何年も閲覧可能となったままだ。


再共有を管理するのも大変であり、プライベートなつもりで投稿した写真がいずれ独り歩きすることもあるだろう。




 こうした問題は、我々が自分の写真を投稿するか決める時でさえ十分に悩ましいものだ。事実、各種調査では大人がソーシャルサイトで個人的な情報を投稿するのは減っていることが分かっている。



子供の情報ならなおさらだろう。



 写真を共有する一部の人は、オンラインでコミュニティを築いているのだと主張する。確かに、こうした形で親をサポートする構造を作るメリットは間違いなくある。



しかし、それに比べて子供へのメリットは明確ではなく、一方でリスクは十分に大きい。


 一部の共有賛成派が言うように、いずれにせよ情報は最終的にはネット上に載るというのも事実だ。ただ、その事実を自分たちが写真を投稿する理由として使うよりはむしろ、自分や子供の情報がネット上に載ってしまうことをさらに留意しておくための警告とすべきだろう。



 最後に、同意をめぐる重要な問題がある。自分の写真をネットに投稿されることについて、子供が同意を求められることはめったにない。聞かれたところで、何に同意しているか完全には理解していないだろう。


子供たちは、親が投稿した気恥ずかしくなるほどかわいい写真が後年、いじめっ子や未来の雇用主、別れた恋人によってネット上で発掘され、自分たちを悩ませることになるとは思いもしないに違いない。



 若者が自分のオンライン上のアイデンティティ作りで失敗を犯さないという訳ではない。


しかし、親がすでに作った何かと戦うことより、そうしたアイデンティティを自分自身で作り上げさせる方が、信頼関係を維持しながら自立性を伸ばす上では重要ではないだろうか。




意見をつなぐ、日本が変わる。BLOGOS引用









posted by magic-dx at 09:00| Comment(0) | 子育て・教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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